「―――姉さん。今日で何日目になる? 俺が此処に閉じ込められてから…」
「十日よ。私なんてもう、二十日もシャワー浴びてないんだから」

暗い地下深くの牢獄。
拘束されたまま、蓮は思う。
十日。
十日も。
姉は父親に反逆することを、もうやめろと言う。
だがしかし。
絶対に、諦めない。
己の憎しみを乗り越えるために。

そして。

(あいつは―――ないていないだろうか)

残してきた少女に、再び会うために。



何故だか無性に、彼女の声が聞きたくなった。












□■□












「―――……」

元民宿『炎』の縁側。
ぽかぽかと太陽が見下ろす中、は板敷きの上に横になっていた。

暑くも寒くもないこの季節。
ぼんやりとは庭先の草木を眺める。

ただ待つことしか出来ない。
何もやることが、ない。

それは別の意味での虚無感をもたらした。

ごろん、と寝返りを打つ。
葉たちが中国へ出発して、もう大分経つ。
当然のことながら、連絡はない。
中国へ行くだけでも時間がかかるのだ。

遠い。
とてつもなく、遠く感じた。

この星の上に、確かに蓮はいる筈なのに――

(――カミサマ)

そんな自分に出来ることといえば、彼らの無事を祈ることぐらい。
なのに。
最近、カミサマは本当に何も答えてくれなくなっていて。
どうしようもなく孤独を感じる。

この建物内には、アンナもたまおも、ピリカもいるはずなのに、な。

「どうして何も答えてくれないの…? カミサマ…」

先日――
善良の魑魅魍魎を浄化してしまった事だって。
どうして突然そうなったのか、わからないことだらけだ。

は天井をぼんやりと眺めた。




不意に視界に影が差す。



「―――カミサマはね、恐らく焼きもちを妬いているんだと思うよ」



がばっとは起きた。
そして慌てて、声のした庭先へ目を走らせると――

「だ、れ…?」

一体いつの間に入り込んだのか。
見知らぬ少年がそこに佇んでいた。

「あなたは…?」
「さあ、誰だろうね」

少年は悪戯っぽく微笑んだ。
その面影が、不意に――葉とかぶる。

だけどはそんな筈はないとすぐに打ち消す。
だって葉は……こんなに長い髪も持っていないし、何より。
こんなにも謎めいた雰囲気は、ない。

「カミサマを、知っているの?」

尋ねると、少年は静かにに歩み寄ってきた。
ふわりと長髪が風になびく。

「うん。まあね」
「……焼きもち、って。どういうこと…?」

すると、少年はくすくすとおかしそうに笑った。

「だって。誰だって自分の愛する者が、他の奴を気に掛けていたら、腹を立てるものだろう?」
「………?」

何のことかさっぱりわからない。
少年の笑みが、苦笑に変わる。

「全く…君はそれすらも忘れてしまっているようだね」
「何のことか、ぜんぜん…」
「それじゃあカミサマも嫉妬する訳だ」



「カミサマ―――グレート・スピリッツに唯一愛されし娘、“星の乙女”」



「!?」
「善良の魑魅魍魎を浄化したのだって…
 本来ならあんな雑霊などに、簡単に汚されていい存在じゃないからさ。君の聖性は」

は耳を疑った。
今、彼は何と言った?

「それ、を…どうして」
「さあ。僕は何でも知っているからね。この世に生きてきた年月は伊達じゃない」

尚も少年は謎めいた笑みを浮かべる。
ピン、と張り詰める空気。
の警戒心がちくちくと刺激される。

だが。

「――ま、なんてね」

不意に少年の顔つきがふっと柔らかくなった。
同時に、張り詰めた空気も弛緩する。

「別に君を怖がらせるために今日は来たんじゃないんだ」

ごめんね、と申し訳なさそうに笑う。
その変わりようについていけなくて、はただ唖然と少年を見つめた。
何だか肩透かしを食らったような気分だった。

「ただ、ちょっと余りにも可哀想な気がしてね…君の言う、カミサマが」
「…どうして…?」
「言ったろ。愛する者が、他の奴に気を取られてるって」
「……?」

尚も首を傾げるに、少年は「つまりね」と続けた。

「君は蓮のことを考える余り――カミサマの歌を忘れてしまっている。だからカミサマは答えてくれない」
「カミサマの…歌?」
「そう。カミサマを慰める歌。そして――祈りを捧げる歌」

君は知っている筈だよ、と少年は言う。
だがやはりには何のことだかわからない。

―――ただ。
何故だか胸の奥が、ざわついて。

これは、なに?

「大丈夫。君は忘れてしまっているだけだから。それに、その歌を歌えば――きっと祈りはカミサマに届くと思うよ」
「祈りの、歌――……」
「そう。……蓮達の無事を祈るんだろ?」

そうだ。
わたしに出来ることは、それぐらいしかないから。

「なら大丈夫さ。――ゆっくりとでいい。思い出してごらん」

君はいつも、そうやってカミサマと会話をしていたのだから。

少年がささやいた。
まるでそよ風のように、穏やかな声。
それに導かれるようにして――
はそっと、瞼を下ろした。

真っ暗な視界。
何も見えない。
その代わりに、他の五感が研ぎ澄まされる。

―――とくん

聞き慣れた鼓動が耳に届いた。
それは己の内側から響く、音。

肌で
耳で
匂いで――

すべての器官が働く。



感じる。
風のぬくもり。
聞こえる。
風の音。

嗚呼――――



            そうだ





わたしは、この感覚を、しっている―――









まるで長いことなくしていた物を、その手に取り戻すように。







言葉が、自然と紡ぎだされた。












緩やかに 緩やかに

意識が、広がっていく。






























ちはやぶる きみがみもとへ やすらかに

あまねきいのち かへりゆかむ

























そう  それは、慰めの歌
荒ぶるカミサマを鎮める――――魂鎮めの歌。








どうして長い間、忘れていたんだろう。
カミサマの元にいた頃は―――毎日のように、歌っていた筈なのに。








(―――あ…)


それは、長い間遠く感じていた手ごたえ。
確かに感じる。
やっと、近くに。

カミサマの存在を。











ああ、おねがいです
どうか、どうか―――

彼らを無事に、帰してください――――……













凛。

ありったけの願いを込めて、うたう。

凛。


(―――……――…)





ただ一心に、祈った。


























―――ざわ。

風が一際強く吹いた。

「―――……あれ…?」

ふと、が目を開けると――
いつのまにか少年の姿は忽然と消えていた。

しばし辺りをきょろきょろと見回すが、最早その気配すらもなく。

(だれ…だったんだろう……)

わたしに、歌を思い出させてくれた人。
まるで白昼夢のように消えてしまった。

「せめて一言、お礼を言いたかったのにな…」

は残念そうに呟いた。
ざわざわと梢だけがそれに応えた。



その時。

何やら玄関の方が騒がしくなった。
たまおの慌てた声に続いて―――

「ただいまぁー」

あのユルユルとした、声と。

「ほら、上がれよ蓮」
「―――フン」

懐かしい
だけど、あんなにまでも望んだ、



「ッ……!」

気付けばは駆け出していた。
真っ直ぐに、玄関へ向かう。

ぱたぱたと音を立てて、逸る気持ちを必死で抑えながら―――






「れん!」






目指すは、待ち焦がれていた人。






彼も、の姿を認めると―――
まるでそれまでの仏頂面が嘘のように。

ふわりと、優しい、声で。



「――――――



ああ、まさか
こんなに早く願いが叶うなんて



はそのまま、蓮に抱きついた。
一瞬蓮の身体がふらついたが、それでもしっかりと受け止めてくれる。
背中に回した腕に、ぎゅうっと力を込めた。

「わたしっ…ちゃんと、まってたよ。蓮のこと……まってた、よ」

「ああ」

彼がぎこちない仕草で、の頭をそっと撫でた。
覚えている。
まだ、この感触を。
不器用で荒削りな優しさを。

「偉かったな」

ほら、そうやって。
あなたは優しく笑ってくれるから。

「っ――」

良かったと思った。
待っていて、本当に良かったと。

(ありがとう、カミサマ)

だってこんなにも――胸が一杯になるのだ。



隣で、適わんなあ、と葉が苦笑して言った。

「ホラ。。蓮が帰ってきたら、言いたいことがあったんじゃないんか?」
「…っん…」

そうだ。
泣いている場合じゃなかった。
はごしごしと涙を拭って、改めて蓮を見つめた。

最高の笑顔を浮かべて。
言いたくて言いたくて、仕方なかった言葉を。





「おかえりなさい」